知らない人はいないかも?!小田倉哲治。

小田倉哲治といえば1番に何を思い浮かべるでしょうか。たいていの人はガンの特効薬を開発した人、と答えるのではないでしょうか。あのガンの特効薬が開発されたことによって、救われた人、未来に大きな希望を持った人、大切な家族を失わずにすんだ人、多くの人が尊敬と感謝の気持ちを持ったのではないでしょうか。

さて、そんな小田倉哲治ですが、1958年に兵庫県に産まれました。小田倉家の次男です。産まれた頃は目がクリッとして女の子と間違われるくらい色白の赤ちゃんだったそうです。クリッとした目は今も変わりないですね。そんな容姿からはあまり想像できないくらい、5歳年上の兄には子供ながらにライバル心を持ち、すごく負けず嫌いな一面もあったそうです。幼少の頃は可愛らしい見た目のコンプレックスがあり、野球やサッカーなど男の子らしいスポーツに夢中になったそうです。でも、実は書道が1番得意だったそうです。書道は心を鎮めたり集中力を高めたりするのにいいって言いますよね。その集中力が研究に生かされたんですかね。7歳年上の姉にはすごく可愛がられて育ったそうです。7歳年が離れているので、姉のような母のような存在で、今でも頭が上がらないそうです。弟は姉に弱いっていいいますが、その典型なのかのしれませんね。父と母は3番目の子なので、何事も好きなことを好きなだけさせてくれたそうです。

自由奔放にのびのび育った小田倉哲治ですが、17歳の時に父をガンで亡くしています。きっと、その出来事が今の小田倉哲治を作り上げるターニングポイントになったんではないでしょうか。兄や姉には厳しかった父ですが、小田倉哲治にはすごく甘く、とにかく可愛がったそうです。末っ子だったからですかね。大好きで尊敬する父が亡くなった原因であるガンを無くしたい、と思うようになり、研究者を志すようになったそうです。とにかく猛勉強して大学に見事現役で合格しました。大学に入ってからも勉強、勉強、とにかく勉強の毎日だったようです。そこから、今日に至るまで、ただただガンを無くすために人生を捧げたように思います。

何度も失敗を重ねて、心が折れそうになりながらも、決して諦めることなく、研究と実験の日々だったことでしょう。素晴らしい発見でガン特効薬を作ってくれた事に心からお礼を言いたいです。有難うございます!この先の未来も苦しむ人が激減したことと思います。きっと、後世のも小田倉哲治の名前は語り継がれることと思います。

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